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東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)183号 判決 1980年10月29日

原告

東レ株式会社

被告

特許庁長官

上記当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告は、「特許庁が昭和53年補正審判第23号事件について昭和53年9月4日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文同旨の判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和48年3月9日、名称を「極細植毛織物およびその製法」と題する発明(以下「本願発明」という。)につき、特許出願をし、特許庁昭和48年特許願第27120号事件として審査されている。ところで、原告は、昭和52年11月9日付手続補正書を提出した(以下これを「本件補正」という。)ところ、昭和53年1月10日本件補正を却下する旨の決定があつたので、同年4月6日上記決定に対し審判を請求し、特許庁昭和53年補正審判第23号事件として審理されたが、同年9月4日上記審判の請求は成り立たない旨の審決があり、上記審決の謄本は、同月20日原告に送達された。

本件補正の内容の要点は、本願発明の願書に最初に添付した明細書(以下これを「原明細書」という。)の発明の詳細な説明中に、「極細化処理の手段として脱海に限られるものではなく、成分間の剥離が発生しやすい複合繊維(いわゆる剥離型繊維)を用いた場合には、もむ、たたく、しごくなどの機械的手段によつて成分間を剥離させ極細化することも可能である。」旨を付加すると共に、特許請求の範囲の記載を別紙のとおり訂正し、これに上記のような剥離型繊維も包含されているように明確化したものである。

2  審決の理由の要点

(1)  原明細書には、

「(a) いま一つの発明は、織物のベース生地部に海島型繊維をV型又はW型に織り込んで立毛した後、該ベース生地部の裏面から海島型繊維で構成された立毛部根元のみを高分子弾性体で付与して固定し、次いで脱海処理することを特徴とする極細植毛織物の製法に関する。(第6頁、第7頁)

(b) モデル的には、Dに示すように島成分4と海成分5を高分子弾性体2の成分が取囲むことになる。このモデル第2図-Dから海成分5を除去すると第2図-Eの如くなる。すなわち、島成分4は、一定の枠内で自由に動きうるのであり、バインダ(高分子弾性体)2と島成分4は、海成分5が介在していたことからして接近はしていることがあつても、接着していないことは明白である。(第8頁)

(c) 本発明において、海成分除去前の繊維は、スパンヤーン、マルチフイラメントヤーンが用いられるが、これらは繊維束であるが、海成分除去により更に束ができ、半固定により根元の部分に対しては、1次の束に対して更に2次の束があるという従来にない構造をとるのである。(第9頁)」

との記載があり、これらの記載は、極細繊維束に関するものであり、原明細書には、その全体を通じて、極細繊維として海島型繊維を使用することのみが一貫統一して記載されるにとどまり、他の均等物の存在を示唆する記載はない。

2 請求人(原告)は、原明細書の「ブラツシングしてよく繊維を分繊しておくことが好ましい。」(第14頁)との記載からは、剥離極細化につながる示唆がされていると主張するが、この点は、その表現どおり、ブラツシングにより繊維を分繊することを記載しているのみであり、成分間の剥離が発生しやすい複合繊維を用いて、もむ、たたく、しごくなどの機械的手段によつて成分間を剥離させ極細化することを示唆したものでないことは、原明細書の次の記載に照らしても明らかである。

「(d) このものをシエアリングマシンに2回通し、立毛長さを1.8ミリメートルにそろえ、その後ブラツシングロールに2回通し、立毛繊維を十分に分繊した。(第17頁)

(e) このものの表面をブラツシングロールで2回処理し、立毛パイルを十分に分繊した。(第20頁)」

3  次に、海島型繊維に代えて成分間の剥離が発生しやすい複合繊維を用いて、これをもむ、たたく、しごく等の機械的手段により極細化する場合には、原明細書記載の前記(c)にいうところの作用効果を奏しえないことも明らかであり、原明細書に記載の目的及び作用効果からみて、海島型繊維と成分間の剥離が発生しやすい複合繊維とは均等物ということはできない。

4  そうすると、本件補正において成分間に剥離が発生しやすい複合繊維をも含むようにした点は、特許請求の範囲に記載された技術的事項の裏付けをなすものであるから、この補正によつて、特許請求の範囲に記載された技術的事項は、原明細書及び図面に記載された事項の範囲内でないものになり、したがつて、本件補正は、要旨を変更するものであり、特許法第53条第1項の規定により却下すべきものである。

3  審決の取消事由

原明細書に審決が摘示するような各記載のあることは争わない。しかし、審決が、本件補正は要旨を変更するものであると認定しこれを却下したのは、次に述べるとおり誤つているから、審決は取消されるべきである。

1 (剥離型繊維が包含されていることについて)

本願発明の極細繊維形成手段は、原明細書において特定のものに限定されていないのであり、本件補正は、極細繊維発生型繊維の一種として周知の剥離型繊維が、明細書に例示された海島型繊維と同様に使用できる旨を補足したに過ぎない。すなわち、①原明細書の特許請求の範囲第1項には、「極細繊維」との記載があり(甲第2号証(本願発明の公開特許公報)第381頁中、原明細書第1頁第9行目、以下、原明細書の記載個所の指示はこれによる。)、また、②原明細書の発明の詳細な説明中には、「極細繊維発生型高分子配列体」との記載があり(原明細書第4頁第13行)、更に③極細繊維発生型高分子配列体には、剥離型繊維も含まれるのである。したがつて、原明細書には、剥離型繊維も上位概念をもつて表現されているのであり、ただ、直接の記載がなかつたに過ぎない。しかるに、審決は、「極細繊維として海島型繊維を使用することが一貫統一して記載されており、他の均等物の存在を示唆する記載はない」と誤つて認定し、この認定に基づいて本件補正を却下したものである。

2 (剥離型繊維が海島型繊維と均等物とはいえないとされていることについて)

仮に、原明細書には、剥離型繊維についての記載がなかつたとしても、本件補正は要旨を変更するものではない。すなわち、本件補正のように出願公告決定謄本の送達前にされた補正にあつては、出願時点において当業者がその発明の目的を勘案しつつ明細書等に記載の技術内容を客観的に判断すれば、その補正事項自体が記載してあつたに等しいとみられる場合には、特許法第41条の要旨の変更には当らなないものというべきである。しかして、本件補正は、次に述べるとおり、①発明の目的の同一性、②作用効果の同一性、③置換の容易性のいずれの見地からしても、まさに上記の意味での自明な事項に属するのである。しかるに、審決は、海島型繊維と剥離型繊維とは均等物ではないとして本件補正は要旨を変更するものであるとの誤つた判断をしたものである。

(1)  発明の目的の同一性

本願発明の目的とするところは、原明細書に記載されたとおり、立毛の耐抜性、起立性、光沢のいずれもが優れた、高度のしなやかなソフトタツチを有する織物及びその製造法を提供することにある。上記目的を達成する際に考慮すべき技術的背景として、原明細書には、立毛の根元を接着固定しないと立毛の耐抜性が悪いこと、非極細繊維の立毛織物は、接着剤で根元部を固定するとゴワゴワの粗硬なものとなること、単に極細繊維による立毛織物を作成し、裏面から高分子弾性体を付与したのでは、毛細管現象で高分子弾性体溶液が立毛部まで吸い上げられて、表面タツチが悪く、立毛の起立性や光沢が失われること等が述べられている。

本願発明は、上記のような目的、解決課題を次の手段で達成したものである。すなわち、立毛の耐抜性については、高分子弾性体を付与すること、しなやかさやソフトタツチについては、植毛繊維として極細繊維を用いること、更に、立毛の起立性、光沢については、極細化する前に高分子弾性体を付与することである。

上記のような本願発明の目的、解決課題は、剥離型繊維の場合にあつても海島型繊維の場合と完全に共通している。すなわち、剥離型繊維を用いても、高分子弾性体を付与、凝固させてから極細化すれば、極細繊維の立毛が発生し、該立毛部まで高分子弾性体溶液が吸い上げられることがない(なぜならば、高分子弾性体を付与したときは、まだ極細化していないからであり、また、極細化は凝固の後に行われるので、その手段は、上記の点と無関係である。)以上、海島型繊維を用いた場合と同様に、立毛の耐抜性、しなやかさ、ソフトタツチ、立毛の起立性、光沢等の問題が解決されるのである。

(2)  作用効果の同一性

剥離型繊維の場合にあつても、原明細書に示された海島型繊維の場合と作用効果は同等である。審決は、原明細書の(c)の記載にいう作用効果(以下「(c)の作用効果」という。)を剥離型繊維では奏しえないとしたが、この点は次の理由により誤りである。

(1) 1次の束、2次の束の点について

剥離型繊維の束をもつて植毛織物を構成し、上記の束に対し、成分間剥離処理を施せば、上記の束の構成要素たる剥離型繊維の1本1本が更に複数の極細繊維に分割されるのであるから、(c)の作用効果中、「1次の束に対して更に2次の束がある」という点は同一である。

(2) 半固定の点について

海島型繊維も剥離型繊維も、凝固後の高分子弾性体と繊維との間には、極細化処理前においてすでに、相当な空隙が発生している(甲第6号証の第1図、第8号証の第1図及び第3図参照)。更に、剥離型繊維にあつては、剥離処理の際に接着点の破壊をも生ずるので(甲第8号証第1図、第2図)、剥離型繊維においても、「半固定」という作用効果は、海島型繊維の場合以上に達成されている。この点は、次に述べるとおり、原明細書及び図面の記載と何ら矛盾しないばかりでなく、それらによつて根拠づけられているのである。

(イ) 原明細書に記載のとおり繊維と高分子弾性体とは「ほぼ接着」しているに過ぎない。

(ロ) 本願発明の願書に最初に添付した図面(別紙図面に同じ、以下単に「添付図面」という。)の第2図Dは、原明細書に記載のとおり、高分子弾性体を含む溶液やエマルジヨンを付与した段階のモデル図に過ぎない。海島型繊維の場合には、甲第8号証の第3図(同図は、極細繊維発生型高分子配列体に高分子弾性体溶液を付与した後に、温水中に浸漬して高分子弾性体を湿式凝固せしめ乾燥したものの顕微鏡写真である。)に示すような状態となり、この状態から海成分を溶解除去すると、添付図面の第2図のEに相当するものとなる。すなわち、甲第8号証の第3図は添付図面の第2図のDとEの間に位置すべき状態を示している。

(ハ) 凝固の際に高分子弾性体が収縮して、前記甲第8号証の第3図のように、繊維と高分子弾性体との間に相当な空隙が生ずることは、例えば、原明細書の実施例1における「…ポリウレタンのDMF溶液濃度18重量%を…塗布し、湿式凝固(脱溶媒)後乾燥した。」とあることからも明らかである。すなわち、ポリウレタンのDMF溶液濃度18重量%という以上、付与された高分子弾性体溶液の実に82重量%は、DMFなる溶媒であつて、これは湿式凝固の際に除去されるのである。このように多量の成分を失えば、図面第2図Dのように粘稠な溶液として繊維にべつたり付着した高分子弾性体もその形状を保ちえず、収縮して繊維と高分子弾性体との間に相当な空隙が生じ、前記甲第8号証の第3図のような状態となるのは理の当然である。

(ニ) 原明細書には、海成分除去後には、島成分が一定の枠内で自由に動きうるという記載がある。繊維と高分子弾性体との間に空隙がある以上、極細化処理を受けた繊維(海島型繊維においては島成分)は、その空隙部をも含めての枠内で自由に動きうるのである。この事情は、剥離型繊維にあつても同じである。

(3)  置換の容易性

原明細書における海島型繊維の例示を得た当業者にとつては、それを剥離型繊維で置換することは、いとも容易である。すなわち、海島型繊維と剥離型繊維は、いずれも極細繊維形成手段として周知であることはもちろん、両者を並列記載して適宜選択すべきこと、更には両者を任意の順序で併用できることまでもが具体的に知られている。そうすると、海島型繊維についての記載を本願発明の出願当時当業者が客観的に判断すれば、それを剥離型に置換する程度のことはまず最初に思いつく自明の事項に過ぎない。

第3被告の答弁

1  請求の原因1、2の事実は認める。

2  同3の主張は、次に述べるとおり、その一部を認めるほかすべて争う。審決には、原告が主張するような誤りはない。

1 取消事由の1の点について

原明細書には、原告のいう①及び②のような記載があり、また、③の点も認める。しかし、原明細書には、極細繊維又は極細繊維発生型高分子配列体の具体例として、剥離型繊維を使用すること又はこれを示唆するような記載は全くない。極細繊維として海島型繊維を使用することが、一貫統一して記載されているだけである。したがつて、審決がこの趣旨の判断をしたことに何ら誤りはない。

2 取消事由の2の点について

(1)  発明の目的の同一性について

原明細書によつて認められる本願発明の目的は、立毛の耐抜性、起立性、光沢のいずれもが優れた高度のしなやかなソフトタツチを有する織物及びその製造法を提供するにある。そして、この目的を達成するために、織物のベース生地に海島型繊維をV型又はW型に織り込んで立毛した後、該ベース生地部の裏面から、海島型繊維で構成された立毛部根元のみを高分子弾性体を付与して固定し、次いで脱海処理するという課題解決手段をとるものである。更に、原明細書には、「いずれにせよ、立毛の根元の部分に高分子弾性体が先に付与され、しかる後、本発明でいう脱海が行われるか否かによつて決まつてくるのである。」とも記載されている。したがつて、本願発明において脱海処理すなわち海島型繊維を用いることは必須条件であり、目的、課題解決の手段を考察したとき、海島型繊維と脱海処理を行う必要のない剥離型繊維とは、全く異なるものであるから、原告のこの点の主張は失当である。

(2)  作用効果の同一性について

(1) 原告の1次の束、2次の束の主張は争わない。

(2) 半固定の点について

本件補正による極細繊維形成手段として剥離型繊維をも含むようにした際に生ずる作用効果中、半固定について、原告は、剥離型繊維にあつては、剥離処理の際に接着点の破壊をも生ずるので剥離型繊維においても、「半固定」という作用効果は海島型繊維の場合以上に達成されると主張する。しかし、剥離型繊維を用いた場合の半固定の状態は、高分子弾性体の収縮による剥離型繊維との間の空隙によるだけのものであつて、極細化された繊維の動きうる域は小さい。その上、高分子弾性体によつて極細化された繊維が接着されている可能性は高い。

これに対して、海島型繊維の半固定の状態は、島成分と海成分とを高分子弾性体が取り囲んだものを脱海処理により海成分を除去すると成分(極細化された繊維)は、一定の枠内で自由に動くことができ、高分子弾性体と島成分とは、接近していることがあつても接着していないのであって、高分子弾性体の収縮による海島型繊維との間の空隙に、脱海部分を加えた域を動きうることになる。また島成分と高分子弾性体との接着の可能性は少ない。

このように、剥離型繊維と海島型繊維との半固定なる作用効果は明らかに相違し、植毛織物の風合を明らかに異にする。

次に、接着点の破壊の点については、極細繊維形成手段として、剥離型繊維をもむ、たたく、しごく等が周知だとしても、剥離型繊維を高分子弾性体で固着し、その状態でもむ、たたく、しごく等を行つて極細繊維化することは周知とはいえず、まして、その剥離型繊維と高分子弾性体との接着部分が破壊されるということが周知であるとはいえない。

更に、原告は、繊維に高分子弾性体を付与したときの状態について、高分子弾性体を付与し、湿式凝固、乾燥させると、高分子弾性体が収縮して繊維と高分子弾性体との間に相当の空隙が生じ、極細化処理を受けた極細繊維は、該空隙部分を含んだ枠内で自由に動きうることから、海島型繊維と剥離型繊維とは同じである旨主張するが、本願発明は、海島型繊維に高分子弾性体を付与した後脱海処理を行つて半固定させることを目的達成の手段としているのであり、高分子弾性体の収縮性を利用してもむ、たたく、しごく等の機械的手段を必要とする剥離型繊維を用いたものとは、事情を異にしている。

したがつて、審決が、剥離型繊維については(c)の作用効果を奏しえないとした判断に何ら誤りはない。

(3)  置換の容易性について

本件補正が自明な事項に該当しないことは、前(1)、(2)において述べたところから明らかである。原告の主張する置換の容易性の点は、本件補正が自明な事項に属するか否かの判断の基準となるものではない。

第4証拠関係

原告は、甲第1号証ないし第8号証を提出し、被告は、甲号各証の成立を認めた。

理由

1  請求の原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、審決の取消事由の存否について検討する。

1 取消事由の1の点について

(1)  まず、原明細書中、この点に直接関連する記載についてみるに、成立に争いのない甲第2号証(本願発明の公開特許公報)によると、原明細書の「発明の詳細な説明」欄における従来技術ないし背景的技術を叙述した部分には、

①  「従来、極めてしなやかなソフトタツチを有すす立毛製品は種々研究されているが、いまだ十分なものはない。唯一の例外は、本発明者らに係る高分子配列体と称する海島型繊維を用い、不織物+高分子弾性体+バフイングなる手法によるスウエード調人造皮革がある。」(第2頁)

②  「…機械植毛方式…により、該高分子配列体繊維を機械植毛し、しかる後、その海島型構成成分の中の海成分を除去することは公知である。」(第2頁、第3頁)

③  「本発明者らもこれを実験してみた。すなわち、前述の極細機械植毛品(海成分除去後)に裏面から高分子弾性体を塗布した。これにより、確かに立毛は固定されることは確かめられた。」(第4頁)

との各記載があり、また、本願発明そのものが直接説明されている部分には、

④  「ところが、高分子配列体などの海島型繊維においては、本願発明のような使用の仕方をすると、事情は一変する。第2図は、海島型繊維とバインダーとの関係を示す本願発明のモデル断面図である。第2図において、海島型繊維3には、島成分4と海成分5が存在し、第2図-Cのような断面構造をとるものである。」(第7頁、第8頁)

⑤  「このことからして、明らかに立毛繊維はこの島成分4と海成分5から成立している訳であるから、島成分4は海成分5の除去後、高分子弾性体2と接着しておらず、子想としてこの島成分4からなる立毛は抜けて、所期の目的は全く果されないと考えられた。というのは、機械植毛においては、特にV型、W型においては、抜け毛しやすく、特にV型に著しいからである。そのうえ、繊維の『脱海』により繊維がやせて、保持力が弱まると、一層抜けやすいことが予想された。しかしながら、全く予想外の驚くべき優れた結果を得たのである。」(第8頁、第9頁)

⑥  「いずれにせよ、立毛の根元の部分に高分子弾性体が先に付与され、しかる後、本願発明でいう脱海が行われるか否かによつて決まつてくるのである。」(第12頁)

⑦  「本願発明の島成分は、ポリエチレンテレフタレート又はその変性(共重合添加など)重合体が特に好ましく用いられ…」(第13頁)

との記載があり、本願発明の実施例に関するる叙述部分には、

⑧  「次いでこのものをトリクロルエチレンで5回十分洗浄し、パイルに用いた海島型繊維の海成分を除去し、しかる後、サーキユラー加圧染色機にて分散染料を用い紺色に染め、仕上油剤を付与した後乾燥した。」(第17頁)

との記載があり、更に、本願発明に対する比較例の説明部分においても、

⑨  「…パイルを形成する繊維としては、海島型繊維で島成分がポリエチレンテレフタレート、海成分がポリスチレンを主体とするポリマからなる繊維(実施例1に同じ)を用い…」(第21頁)

⑩  「比較例1と同様の糸使いの表面に海島型繊維からなるパイルを有する立毛織物を、トリクロルエチレンで5回洗浄し、パイルを形成している海島型繊維の海成分を除去し、立毛(パイル)がベタベタにたおれたものとなつた。」(第22頁)

との各記載のあることが認められ、これらの記載は、その記載自体からも明らかなとおり、すべて、海島型繊維に関する記載にほかならない。

そして、上記に掲げた各記載部分をはじめ、審決引用した(a)ないし(c)の記載及び原明細書のその他の記載部分(審決が摘示するこれらの各記載の存することは、原告の自認するところである。)を併せ検討すると、本願発明に関する背景的技術や従来例をはじめ、本願発明の目的、手段、効果並びにその実施例、比較例にわたるすべての記載は、終始一貫して海島型繊維に関するものであつて、剥離型繊維について、これを直接叙述した部分はもとよりのこと、出願人においてこれをも包含させたものと解しうべき記載部分は見当らない。

(2)  なるほど、原告が主張するとおり、原明細書の特許請求の範囲第1項には、「極細繊維」との用語が、また、その発明の詳細な説明中には、「極細繊維発生型高分子配列体」との用語があり(この事実は当事者間に争いがない。)、一方、極細繊維を発生させうる繊維ないし高分子配列体には、海島型繊維のほか、剥離型繊維が包含されるものと解される。

しかし、上記の「極細繊維」の点についてみるに、当事者間に争いのない本願発明の要旨(特許請求の範囲の記載に同じ。)からも明らかなとおり、そこに用いられている「極細繊維」とは、ベース生地部分の繊維束の束が高分子弾性体によつてほぼ接着固定され、他方、立毛部分が接着固定されることなく、互いに極めて接近した状態にあるところの極細繊維にほかならないのでありこのように限定された極細繊維は、後記2の(2)において検討するところからも明らかなとおり、海島型繊維についてのみ考えられていることであつて、原明細書の記載、ことにその特許請求の範囲第2項及び前列挙の各記載に徴し、剥離型繊維については全く考えられていないものと解するのほかはない。また、上記の「極細繊維発生型高分子配列体」についてみるに、前掲甲第2号証によると、上記の語が用いられている部分の記載は、「織物の風合はとも角、たとえゴワゴワのゴム状であろうと、立毛を接着固定するということは、前述の極細繊維発生型高分子配列体の機械植毛海除去品に適用してみたらどうかと考えることを思いつかれるかも知れない。」(原明細書第4頁)というのであつて、海島型繊維についての記述にほかならない。

そうだとすると、上記の各用語が、それ自体としては、いずれも海島型繊維のほか剥離型繊維を包含しうる上位概念であるとしても、これが用いられている記載内容を離れてその用語のみを取り出し、その記載があるからといつて、原明細書又は添付図面に剥離型繊維に関する記載もあるとすることはできない。

よつて、取消事由の1の点の主張は採用できない。

2 取消事由の2の点について

(1)  (発明の目的の同一性について)

(1)' 特許法第41条に基づいて補正が許されるのは、願書に最初に添付した明細書又は図面に記載された事項、又は少なくとも出願時において当業者が上記明細書に記載された技術内容に照らし、記載があると認識しうる程度に自明な事項でなければならないと解すべきであり、単に発明の目的が同一であれば足りるものでないことはいうまでもない。

(2)' 前掲第2号証によると、本願発明の目的は、原告が主張するとおり、立毛の耐抜性、光沢のいずれもが優れた高度のしなやかなソフトタツチを有する織物及びその製造法を提供することにあると認められる。

しかし、前1に検討したとおり、原明細書は、本願発明について上記目的達成のための具体的方法の説明(実施例、比較例を含む。)がすべて海島型繊維に関するものであるから、剥離型繊維を用い同じ目的を達しようとする場合に、これをいかに行うか、原明細書の記載からは当業者といえどもこれをたやすく理解し難いところであるというほかはない。

仮に、剥離型繊維についても、原明細書に記載された手段のうちのいくつかが選択適用できこれに他の手段を併用し、その結果前記のような目的が達せられるにいたることがあるとしても、後に述べるとおり、原明細書によると、本願発明は、織物のベース生地部に海島型繊維をV型又はW型に織り込んで立毛した後に、上記ベース生地部の裏面から海島型繊維で構成された立毛部根元に高分子弾性体を付与して固定し、次いで、上記繊維について脱海処理するという手段を用いることとされ、しかも、上記の脱海処理が極めて重要であつて、本願発明の効果もこの手段方法に基づいて生ずるものである旨記載されているのである。このことからすると、当業者といえども原明細書及び添付図面に記載された技術内容から、本願発明を直ちに、脱海処理をせず他の処理を要する剥離型繊維に適用してたやすく同一の目的を達成できるものと断じえないことは明らかである。

(2)  (作用効果の同一性について)

(1)' 原明細書、特に審決の摘示した(c)の記載及び前1の(1)の⑤の記載によると、本願発明においては、極細化処理前の繊維は、繊維束を形成しているが、海成分が除去されることにより更に束ができ、半固定により根元の部分に対しては1次の束に対し更に2次の束がある構造になつているとされていることが認められる。これによれば、極細化された繊維は、添付図面第2図のEのように島成分4の1本1本が束となり、それを半固定しつつ、この束が更に2次の束を形成し、それらが、ベース生地部の経糸と緯糸とによつてV型又はW型構造を形成し、しかも、高分子弾性体2によつて、上記経糸、緯糸とは接着固定的に、また上記の束とは半固定的にその構造を形成していると解される。

(2)' ところで、原明細書には、「半固定」の意味を直接定義づけた記述はないが、原明細書、ことに本願発明の特許請求の範囲の記載と前記(c)及び⑤の記載とからすると、半固定の状態とは、極細繊維束の束について、その海島型繊維が脱海処理されて島成分が一定の枠内で自由に動きうる状態、すなわち、島成分が、かつて海成分が介在していたことから、高分子弾性体に極めて接近はしているが接着していない構造を指すものと解される。

このことからすれば、原明細書にいうところの半固定の状態を形成するためには、海島型繊維を脱海処理することを必須の前提条件としているものと解するほかはない。更にいえば、高分子配列体を脱海という手段によつて海成分が介在していた分だけ容積的に縮少することが前提条件となるのであつて、高分子配列体を取囲む高分子弾性体側の対応、すなわち、高分子弾性体が凝縮し繊維との間に空隙が生じても、これをもつて半固定の状態が形成されたものということはできない。仮に、高分子弾性体が凝縮し繊維との間に空隙が生じた場合をも半固定と称しうるとしても、そこにいう半固定は、原明細書にいう半固定とは同一ではない。

(3)' 原告は、極細繊維発生型高分子配列体(海島型繊維のほか、剥離型繊維を含む。)に高分子弾性体溶液を塗布し乾燥させたものの断面の顕微鏡写真(成立について争いのない甲第6号証、第8号証)をもつて、高分子弾性体溶液を繊維束に塗布して乾燥させたときは、これが凝固収縮して両者の間にいずれも空隙を生ずるから、剥離型繊維の場合も極細化処理によつて極細繊維の半固定状態が形成される旨主張する。

しかし、剥離型繊維の場合には、上記の空隙は、単に高分子弾性体側の対応(凝縮)のみによつて生ずるに過ぎないから、これは、このような状態に加え更に海成分が除去される海島型繊維の場合において生ずる空隙と比較し、小さいものであると考えられる(これと別異に解すべき特段の事情を認めうべき証拠はない。)から、そのことだけでも、両者が同一の作用効果を奏しうるものとは認めえない。のみならず、上記のとおり海島型繊維と剥離型繊維との間に空隙おいて差異があるとすると、剥離型繊維の場合前掲甲第6号証の第1図、同第8号証の第1図、第2図に示されているような空隙が、高分子配列体の長手方向に添つて相当の長さにわたつて連続して生じているものとはにわかに認め難く(上記甲号証のものは、1断面の状態を示しているに過ぎない。)、他に、海島型繊維の場合と同一の空隙が生じているとしうべき資料はない。

(4)' 以上(1)ないし(3)のとおりであるから、原明細書及び添付図面に記載の海島型繊維の場合の作用効果が、剥離型繊維においても同様に奏せられるものとはにわかにしえない。

(3) (置換の容易性について)

前1及び2の(1)、(2)に述べたところからすると、原明細書及び添付図面に記載の海島型繊維に関する技術を剥離型繊維で置換して同等の目的を達することは、当業者にとつて容易であるとはいえないとせざるをえない。

(4) 上記のとおりであるから、本願発明において、その目的・作用効果及び置換の容易性のいずれの点からしても、剥離型繊維をもつて海島型繊維と実質的に同等ないし原明細書及び添付図面の記載に照らし記載があつたと認められる程度に自明な事項とはしえない。したがつて、この点の原告の主張も採用できない。

3  よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(荒木秀一 杉山伸顕 清野寛甫)

<以下省略>

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